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小説ってか戯曲けど。
絵画史の授業で出てきたときからずっと読んでみたかったのです。
うーん、なかなかきついお話でした。てか聖書…。
ヨハネがー!!そんなぁ。サロメの極端な想い方には共感できないけど、でもあの感情の綴り方をするワイルドにはなんだか共感してしまう私でした。
本当はサロメは母の入れ知恵でああいうことを要求するらしいけど、ワイルドはそこを彼女のヨハネに対する想いの為した事と解釈しなおしたわけでしょ?自主的なものと。
個人的には「あなたも私をちゃんと見てくれたらきっと私を求めた」というこの想いがなんだか辛い。
ワイルドが彼女にわざわざこういうことを言わせるということははたして『サロメ』の中の二人はその可能性があったのに、ということでこの話は恋愛悲劇となるのだろうか。
以下は宗教的な内容が絡むので、本当にそういうの許せない、軽々しくそういうこと口にするなよと思う方はスルー。
ヨカナーンはヨハネだから、登場した瞬間から「この人は間違いがない」という大大大前提が敷かれているけれど、失礼ながら彼を一人の男性としてとらえた時には、ある程度視野が狭くなっているのだと思う。あの、あくまで『サロメ』の中の彼ね。
女性を愚かなものととらえ、メシアの登場のみに全身全霊をかけている。彼は結局サロメという女性のことは救うことができなかった。
こういう風に考える私という女性も結局愚かな女性でしかないのだろうか。
でも首を手にしたサロメが、延々と彼に語りかけてやっとキスするその様子があまりにも救われなくて、こんな単純な救いすら得られない人間がいるのに世界への救いが起こるなんてことがあるだろうか。
サロメの単純な要求に対して、彼はそんな大義名分を掲げているのなら、本当はもっと取るべき行動があったんじゃないかしら。こんな考えも愚かかしら。